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オリベッティとブラバム
2014年05月20日 21:43ジャック・ブラバム氏が亡くなった。
88歳。自ら設立した製造会社のマシンを駆って、3度年間タイトルを手にした。
87年鈴鹿で行われたF1では、オリベッティチームのマシンとして参戦。
ドライバーはパトレーゼとデ・チェザリス。忘れられない思い出かな。
短歌を詠む
2014年05月17日 11:21医師でもある兄が入院した。難病なのだという。
見舞いに行ってきた。思ったより元気だったが、
これから過酷な治療が始まるから、と不安げな顔でつぶやいた。
帰り道、母と話した。「何の因果か」。そう、こういう時は必ず自問するものだ。
なぜ兄であって、僕でなかったかと。
初めて短歌を詠んでみた。
「まぼろしか誰の代わりに兄ひとり病を背負い夢に戻るる」
「白衣脱ぐ兄の姿は悲しくも病背負いて潔し」
「病室の兄の握手はやわらかく返す言葉のどこかちぐはぐ」
「百年も今も変わらぬ蜃気楼幼き日々の兄を訪ねて」
「万緑の誰をも包む宇宙から歩み出す兄病背負いて」
俳句でつぶやく
2014年05月13日 10:55今年90歳になる父親を病院に連れて行く日が多くなった。
「病院の父のごほうび菫かな」
家の近くの「松の川緑道」を散策していたら、野良猫と遭遇。
「猫は狩り人はカフェオレみどりの日」
息子にせがまれて、バッティングセンターに行った。僕は見ているだけ。
でも、球の音が小気味よい。
「白球のまっすぐはねる立夏かな」
時々出かける仕事場の近くに、緑のアーチがある。
ある日、『知らぬ間に若葉の繁るアーチかな』となり、
午後休息すると『若葉して青ひとゆれのアーチかな』と迎え入れてくれる。
夕暮れ時は、そこを通り過ぎると『しずけさのささやき返す青葉かな』となる。
だから、『夕若葉あすまた来るよ元気なら』。
そういえば、もうひとつ、公園の好きな光景。
「万緑のどの子も包む宇宙かな」
ひまわり俳句新聞21号
https://drive.google.com/file/d/0B36cOsPMb0r_ZzZPSWt3VVJhNU0/edit?usp=sharing
ひまわり俳句新聞21号発行
2014年05月12日 09:38正岡子規にとって終生の地となった根岸に母と出かけました。「子規庵」は、鶯谷駅から徒歩で15分ほどのところにあります。
「根岸にて梅なき宿と尋ね来よ」(子規)。
でも、道は隘路の連続。子規庵はこじんまりとした平屋で猫の額ほどの庭がありました。でも、そこは子規にとって大きな宇宙でもありました。
当時の子規庵からは上野公園が見えたそうです。ともあれ、母との吟行、楽しい一日となりました。
立ち寄った「笹の雪」の豆腐料理、まずまずでしたね。
「母の俳句」
「言問」(こととい)を抜けて子規庵の日永かな
へちま棚昔も今も横臥して
庭朧子規の家族の透かし見え
自筆書画子規の魂春の露
ひめしゃがの花を咲かせている根岸
漱石の豆腐料理や深む春
「息子の俳句」
母と子の豆腐談義や八重桜
子規庵の痩せたへちまに風通る
子規庵のガラス透かせば山椒の芽
うららかや力ゆるめて豆腐食う
散る花やペリエの泡の輝けり
ひまわり俳句新聞
2014年04月01日 22:04平成24年の9月に創刊した母と息子の「ひまわり俳句新聞」が20号を達成した。思えば、見よう見まねで、思い浮かぶままに俳句を詠んできたが、日が経てば経つほど句作の難しさを感じている。でも、楽しい。楽しいから続けられるのだ。これから、このブログに「俳句新聞」のURLを掲載したいと思う。ご興味のある方はぜひご覧ください。
https://drive.google.com/file/d/0B36cOsPMb0r_QkZVTjRHUWNEUXM/edit?usp=sharing
驢馬と花売り
2014年03月19日 21:13広尾で見かけた花売り。今度会ったら、ぜひ花を買ってあげようと思う。
「花売れて驢馬のまはりに野のひかり」。
雪はふる
2014年02月11日 13:22
関東一円が大雪に覆われた。僕の住む町も一面真っ白になった。こうなるとつい駄句が思い浮かんでくる。
俳句は考えるのではなく、感じて詠むものだから、雪の日は最高の機会なのだ。
「大雪やだるまのごとくころびけり」
「雪降るや眠気を誘う白さかな」
「雪の日や雀のお宿探しけり」
「よろよろと雪道歩き物忘れ」
「雪降るやもの静かなり川の水」
そう言えば、東京都知事選があった。僕は都民ではないけれど、結果は気になった。
「世の中を忘れたように雪はふり」
「世の中を忘れませうぞ雪礫」
来週も雪の予想だ。また雪の俳句を詠みたい。
介護と民俗学
2014年01月22日 16:49
何かの予感があったのか。1年以上前に、六車由美さん(むぐるまゆみ)の「驚きの介護民俗学」を読んだのだけど、また読み返している。彼女は「神、人を喰らう」でサントリー学芸賞を受賞したれっきとした民俗学者なのだけど、介護の世界に飛び込んだ不思議な人だ。この本を読んで感じたことは、どんな年寄りであろうとも、「輝く時代」があったということ。その時間にタイムスリップして、光を当てると、泉のように湧き出るものがある。それを掬う作業は、介護も民俗学も同じだと、彼女は語っているのだ。僕は、今「介護予防」の世界に入り込んだけれど、利用者の話をじっくり聞けば、きっと鉱脈に出会えるような気がしてきた。「老い」を「終焉」と考えてはいけない。老いこそ、人生の始まりだ。老いたればこそ、光の尊さが分るというものではないか!
丙午
2014年01月04日 20:08漱石の句には「馬」か「馬上」を詠んだものが多い。
中でもこんな句が好きだ。
「馬に二人霧をいでたり鈴のおと」
「馬の子と牛の子と居る野菊かな」
「限りなき春の風なり馬の上」
「花の頃を越えてかしこき馬に嫁」
最後の句は「草枕」にそのまま使われている。馬上、ゆたかなり、か。
駄句で今年を締めくくる
2013年12月31日 17:36今年も駄句を詠んで締め括ろうと思う。
『寒木の一枝を掴む鳥をりぬ』。
『たゆまなく鳥の水打つ晦日かな』。
で、今朝はベランダから神々しい姿の富士を眺めた。
『空を踏む太子の福慈(富士)や大晦日』。
聖徳太子は黒駒に跨がり富士山頂を飛んだそうだ。やりますなあ。
皆様良いお年をお迎えください。
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