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ひまわり俳句新聞30号を発行しました

2015年02月02日 13:31

https://drive.google.com/file/d/0B36cOsPMb0r_dC1fNzhWS3lQWm8/view?usp=sharing

 

母の俳句

 

病院の窓目一杯初御空

介添えをされて任せる初湯かな

永生きの戦後がうれし年賀状

稟性は取るに足らない初日の出

惟みる畳の上の寝正月

綱引きや打ち寄す波の譲り合い

爺と婆いつしか枯れて幸の神

しんしんと初雪染むる畑の上

初富士や人生幾度居を移

初松籟友からの文待ちぼうけ

空っ風老いて強気な遠州弁

老眼鏡外し見直す初茜

取替しおむつが春の吐息かな

 

 

息子の俳句

 

好きな人好きな言葉の日記買ふ

どこからか風をさまって大晦日

柚子を切る妻の機嫌の直りけり

去年今年寝ても覚めても独り言

おしなべて手にして重き冬野菜

小寒の夜明けに灯る信号機

七草やおのおの土の香りせし

陽の中の埋もれて薫る枯葉かな

福寿草一喜一憂模擬試験

受験生末吉引いてよろこべり

置時計かちかち励む夜寒かな

軒先の猫の日だまり春来る

世は末のいのちあるうち春を待つ

首伸ばし春待つ亀や父帰る

青空もたまにキレるぞ滝凍る

酔客は迷子の羊年新た

冬空の果てなく澄みし青さかな

春隣父はガンジー頑固爺

大寒に光るナイフの恐れかな

(戦争と飛び来てナイフ水涸るる)

寝たきりのいのちほんのり春のいろ

 

ひまわり俳句新聞29号を発行しました

2015年01月01日 10:00

ひまわり俳句新聞29号

https://drive.google.com/file/d/0B36cOsPMb0r_RUNZbGExS0NGWUU/view?usp=sharing

 

<母の俳句>

「街中の猫」

 

猫たちの自慢は髭の

冬ぬくし

 

枯菊や猫撫で声の

猫が来る

 

黒猫の黄金の目玉

十二月

 

御先祖は遊女の膝の

かじけ猫

 

数え日や看板猫の

大欠伸

 

餌付され猫目をそらす節季かな

 

    ■

 

湯豆腐や忠実忠実(まめまめ)湯気の香りかな

 

酒の粕少女時代の

つまみ食ひ

 

極月や病院通ひの

世事疎し

 

傍にラジオの誰かと

居る霜夜

 

どっぷりと自性清浄

柚子湯かな

 

健脚の頃のあなたの

冬帽子

 

バス揺れて赤子も揺れる四温かな

 

駄々捏ねる病の爺の

春まじか

 

五郎助やオツムが笑うオムツして

 

街並の浮足立ちし

クリスマス

 

少年はカメラを拒む

聖夜かな

 

お隣の春待月の

山羊と会う

 

病む子居て草にも祈る小晦日

 

目いっぱい泣いて笑って大晦日

 

 

<息子の俳句>

 

冬越えのカマキリ見事

十字切る

 

冬ざれの道に雨水

たまる夜や

 

膝並ぶ冬日のなかの

足湯かな

 

青空に切り絵のような

紅葉かな

 

そわそわもいつものごとき年の暮

 

枯草のおもはぬ温さ

触れにけり

 

青強くイエスを照らす聖夜かな

 

霜枯れて無人電車に

揺られたし

 

極月の鳩の首振る

尾っぽ振る

 

よくもまあ三代干支の

兎かな

 

千両やほのと頬染め表彰台

 

若き日の黒を好みし冬鴉

 

「父へ」

 

病室の父を包むる

寒夕焼

 

冬萌やいざ出陣手術室

 

寒風や満身創痍の

から元気

 

病床の父に差し入れ

寒卵

 

月冴ゆる命ある人

見舞ふ日は

 

 

ひまわり俳句新聞28号発行しました

2014年12月05日 19:41

https://drive.google.com/file/d/0B36cOsPMb0r_QU5YenN6SmpiWnM/view?usp=sharing
 

<母の俳句>

 

子宝やみんな揃って

亥の子餅

 

山茶花や今は老々

昭和の子

 

草珊瑚シルバーカーをひきとめる

 

舞う落葉地の神様に

風の神

 

ぎこぎこと突っ交い棒の冬日陰

 

小春日や天の恵みの

しのびやか

 

北風や飛んで何処まで膝小僧

 

子供らは冬空の中

さかあがり

 

冬将軍群れる子供の

奇声かな

 

柿の菓子里の香りも

冬景色

 

葉脈の絵柄それぞれ冬ざるる

 

朴落葉「ポン」と膝打ち立ち上がる

 

診察を待つ長椅子の

日短か

 

若返る老病み生きて

冬帽子

 

これはこれは厚着の爺の重みかな

 

 

ふわふわと老々介護

床暖房

 

老いて未だ蓮っ葉賢女日向ぼこ

 

憧れの小景をみる

シクラメン

 

ひよどりのヒーヨヒーヨとひとしきり

 

病める子の声に応えて寒雀

 

<息子の俳句>

 

冬浅し父母並び笑ひけり

 

梟やねむたき声の老女をり

 

泥のごと揉まれ家路の

暮早し

 

裸木や家はからっぽ猫散歩

 

ボス猿の冬日のあたる

毛づくろい

 

ごほうびのラーメン旨し

初氷

 

セーターのどこから見ても

青が好き

 

ミルフィーユ温さ閉じ込め

冬支度

 

バス停の風に傾く冬来る

 

空き缶のラべル剥がすや

小春空

 

鉛筆の減る勢いや十二月

 

老婦らの自慢話や寒雀

 

マフラーの絡む木を抱く

夕べかな

 

「父へ」

 

蔦枯れて葡萄酒の赤

残りをり

 

蔦枯れて注ぐ葡萄酒

とくとくと

 

来月号もご期待下さい。

ひまわり俳句新聞27号

2014年11月13日 20:18

 

https://drive.google.com/file/d/0B36cOsPMb0r_R2pJcnFqcWFKYUk/view?usp=sharing
 

<母の俳句>

 

心願の香にむせぶかな金木犀

 

竜淵に潜み心臓修理無事

 

心臓の血さらさら流る秋の川

 

脈々と五体健全菊人形

 

退院の爺の食欲秋渇き

 

吾子は病み爺快復の秋思かな

 

目に見えて秋色となる身の辺り

 

「トラ」は痩せ「タマ」は太っちょ露万朶

 

玄関の鍵チャラチャラと秋日傘

 

獅子唐の辛さしみじみ秋の夕

 

隅っこの小菊こんもり影ほのか

 

秋湿り天はすぐそこ空草(うつほぐさ)

 

熟れるほど人声近き秋果かな

 

竹藪の小径に隠るそぞろ寒

 

朝刊を手にずっしりと秋時雨

 

天高し食べ頃問うてメロン抱く

 

老境に達して身軽花野道

 

よどみなく秋の七草言うは良

 

ノンステップバス喜々と揺れ秋日和

 

栗おこは栗ニケづつの天こ盛り

 

 

<息子の俳句>

 

ふぞろいの菱形ひかる秋の海

 

ローマ晴れここは秋色はじまれり

 

鉄橋の芒はまひる浴びにけり

 

父を詠むただ字余りの夜長かな

 

魚ならば好きな海ゆき冬隣

 

台風の去って痕なき空の色

 

捨扇しづかに置いて人離る

 

一木の枯葉の散りて森揺らす

 

雨雲のこぼるるひかり秋の園

 

むらさきは東方の色秋桜

 

黒猫の濃き影昏れて冬支度

 

ふんふんと月頷いて摩天楼

 

秋雨やたこ焼きぽっぽ湯気を立て

 

炊きたての新米香る目覚めかな

 

沐浴の心構えぞ冬近し

 

冬淡きひかりの先へ迷いけり

 

カジュアルなオペラ企画

2014年10月10日 21:27

港区在住のオペラ歌手宮崎千恵さん(ソプラノ)と澤谷雅広さん(バリトン)に出演していただき、

「はじめてのオペラ&カンツォーネ」と題したコンサートを企画した。

オペラをテーマに、歌にトークを交えたエンターテイメントなイベントで、

プッチーニの「ラ・ボエーム」や「ジャンニ・スキッキ」、ヴェルディの「椿姫」など

著名なオペラアリアを集めたプログラム。

同じ港区在住のピアニスト、河野あゆみさんの伴奏でお二人は著名なアリアや

イタリア民謡(歌曲)の数々を披露した。

前半は、宮崎さんがプッチーニ作「ジャンニ・スキッキ」から「私の優しいお父様」と、

イタリアの作曲家ステーファノ・ドナウディの歌曲「ああ愛する人の」を披露。

澤谷さんは、イタリアの南部の町ソレントに捧げた代表的なナポリ民謡の「帰れソレントへ」や、

ナポリの歌曲「カタリカタリ」を披露してくれた。

どの歌も抒情的なメロディーで聴きどころがあり、お二人の情感を込めた歌声は

心に深く響いてきた。

後半は、プッチーニの「ラ・ボエーム」から主人公のムゼッタが男の気を引こうと

歌いかける「私が街を歩くとき」や、ヘンデルの歌劇「リナルド」から「私を泣かせてください」

宮崎さんが歌い、澤谷さんはヘンデルの歌劇「クセルクセス」から「ラルゴ」を。

また、「椿姫」の中の「プロヴァンスの海と陸」を披露し、観客を魅了。

 

歌の合間には、お二人の絶妙なトークと観客とのキャッチボールがあり、

始終和やかな雰囲気のなかでその場を盛り上げてくれた。

ソプラノ歌手の宮崎さんは、「普段観客とこれほどの近距離で歌う機会がありませんので、

お客様の反応が十分に伝わってきて楽しかったです」と笑顔で語ってくれた。

 

 

2014年10月05日 17:23

僕の親父は卒寿を迎えたばかりだ。その記念すべき日を前に、心不全で倒れてしまった。

幸い一命はとりとめ、いまでは一人で食事ができるまでに回復した。

まずはひと安心だ。

病院に父を見舞いながら、ふと「父親」という存在について考えてみる。

誤解を恐れずに言えば、ぼくは「父」の威厳を感じたことがなかった。

「夢」を知ることもなかった。しつけられたという記憶もない。きっとほったらかしにされて育ったはずだ。

でも、父の「慈愛」は時に感じることはあった。

いったい、僕の父に「城」はあったのだろうか?

僕の父は、一家の大黒柱的な存在ではなかったけれど、家族をないがしろにしたこともなかった。

世間一般の父親像のなかで、僕の父親像はきっと淡泊であったに過ぎないのだろうか?

いや、そうじゃない。僕には3つ上の兄がいて、若い時から父とは衝突していた。

父の「暴力」と対峙していた兄をただ見て見ぬふりをしていた僕は、よく言えば「平和主義者」、わるく言えば、「根性なし」なのだろう。

不思議なもので、いま90歳の父親と63歳の息子は、どこか親しい友人のような会話をしている。

「父を詠むただ字余りの夜長かな」

「魚ならば好きな海ゆき冬隣」。

 

Invecchiato alla perfezione

2014年10月01日 18:35

イタリアの友人からのプレゼント。いい年齢を重ねてきたかどうか。

まして、完璧かどうかはあやしい。

でも、しっかりと歳をとりたいなと思っています。
La mia amica italiana mi ha regalato questo T -shirt per il compleanno e

 non saprei se mi sono invecchiato alla perfezione. 

Comunque vorrei invecchiarmi bene.

ひまわり俳句新聞26号を発行しました

2014年09月29日 20:30

ひまわり俳句新聞26号

https://drive.google.com/file/d/0B36cOsPMb0r_MFpLT2FnY2J5Xzg/edit?usp=sharing

 

 

「母の俳句」

名月や世界は狭しめくるめく

 

雨あがり雲ひとすじの十六夜

 

十六夜さっき泣いた子もう笑う

 

浜梨旨し古里は長十郎

 

雑草に肩で息する鶏頭花

 

破れ柵雀の群れて野路の秋

 

敬老日翁媼の三番叟

 

和菓子屋の売子気張れや敬老日

 

コスモスの茎たのもしや体育系

 

一歩づつ地をける力秋の風

 

近道をゆかず金秋遠まわり

 

雲呼んで四方山ばなしの案山子かな

 

鮮やかや片目でみてる秋の雲

 

ひとり居のシャワー身に沁む一日かな

 

秋湿り介護保険のABC

 

父と子の病みてつれなき秋暑かな

 

色紙を折りて鳴き出す秋の虫

 

リハビリの脚持ちあげるチンチロリン

 

白露てふ心不全の爺蘇る

 

椋鳥の人騒がせな卒寿かな

 

「息子の俳句」

一葉の秋迷い込む愁いかな

 

手のしわの陽光しるす秋はじめ

 

はたと見る案山子姿の農夫かな

 

秋夕焼飛び去る鳥の胸騒ぎ

 

亀も亦子視る目をして秋日和

 

狂いなき月の満ち欠け稚魚の影

 

ヨーグルトの一色(ひといろ)ぐんと秋めく

 

待ちわびる郵便受けの月明かり

 

まつすぐの好きな人添ふ良夜かな

 

山畑の風迷いなく秋に入る

 

種蒔きの終えし土染む秋夕焼

 

胡桃割る親子喧嘩のかしましさ

 

長き夜や馬の蹄を聞いている

 

トラクター大きく秋の声を出す

 

しづけさのしづかにゆれる秋の虫

 

ウクレレの九月といへどやわらかき

 

秋の蝉腰の痛みを泣き明かす

 

古里の河に仄見ゆ天の川

 

肌ごころ土の香りよ小鳥来る

 

「心不全で倒れた父へ」

 

コスモスや不死鳥となり老父舞ふ

 

父見舞ふ二百十日のことならず

 

いしょくじゅう事足りてあるけふの月

 

水のように、句を詠めば

2014年09月21日 21:01

最近好んで読んでいるのは、桂信子の句集。最初に彼女の俳句を見つけた時、

その俳句性に驚いた。

「初秋のまひるまぶしき皿割りぬ」「傘立に傘がまつすぐ立って秋」。

俳句にいつも新しいものを求めているところが好きだ。

「表現は平明に、内容は深く」桂信子の師である日野草城の言葉だ。

平明に、平明に求めていくと、「水のようになる」のだそうだ。

あるいは空気のように。

季語で俳句を作るのが好きでないという点も同感だ。

季語は後からついてくる感じがいい。

「長き夜や珈琲の湯気なくなりぬ」(日野草城)。

 

俳句で「ものを考える」のではなく、いまという時間のなかの自分を見つけること、

それが僕の生き方になりつつある様な気がする。

「待ちわびる郵便受けの月明かり」

「狂いなき月の満ち欠け稚魚の翳」

「ヨーグルトの一色(ひといろ)ぐんと秋めく」。

生きている文語

2014年09月02日 18:04

俳句を詠むうえで、避けて通れないのが「文語」だ。

現代仮名遣いでいいじゃないかと言えばそれまでの話。

文語には文語の魅力があると思うようになり、最近本格的に勉強し始めた。が、難しい。

「不二ひとつうづみのこして若葉哉」(蕪村)。「うづみ」は「埋(うづ)む」の連用形だ。

口語なら、「埋める」と詠めばいい。

「ほととぎす大竹藪をもる月夜」(芭蕉)。「もる」は「漏る」の連体形。現代口語体なら、

「漏れる」となる。

ともあれ、まずは「動詞」のおさらい。

四段活用、上一段活用、上二段活用、下一段活用、下二段活用、

そしてカ行、サ行、ナ行、ラ行、の4つの変格活用を入れてぜんぶで9種類。

でも、このパターンを覚えるのが難しい。

昔、イタリア語を習い始めた時に、動詞の活用を覚えたときよりも難しいと思っている。

もちろん、こうした基礎的な知識をどう「作句」に活かすかはまた別の問題だけど。

 

9月に入って、少しテンポが良くなった。2日で10句できた。自然に・・・・・。

「いしょくじゅうみな受け止めてけふの月」

「かの夏や母の詠む句の忘れざる」

「秋の虫折って佇むしづけさや」

「八月の雨ぞ勝手に子を散らす」

「ウクレレの九月といへどやはらかき」

「凡人とならで過ぎぬや彼岸花」

「秋の蝉腰の痛みの泣きどころ」

「銀翼の空を眺むる九月かな」

「初秋や不二遠のける小天地」

「故郷の河に仄見ゆ天の川」

 

 

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