W杯ブラジル大会をイタリアで観たい

2013年12月15日 19:17

今年も残すところあとわずか、というよりも、ワールドカップ・ブラジル大会まで半年を切った、という感慨の方が深い。

来年6月のW杯期間中、僕は日本を“脱出”することに決めている。そんな話を知人や仕事相手にすると、「ブラジルですか、いいですねー」などと言われるが、実は、行き先はイタリアなのだ。

ブラジルの5度に次ぐ過去4度の優勝を誇るイタリア、その4度目の優勝は2006年ドイツ大会だった。当時僕は、ウンブリア州ペルージャの大学に留学中で、そこでW杯サッカーの魔力にとりつかれてしまったのだ。

約20年に及ぶ新聞記者時代、スポーツ取材を主たる仕事にしてきたが、不思議なことにサッカーには縁がなかった。まだ“駆け出し”だった静岡支局時代、県版取材で東海大一高の「正月サッカー」に同行し、全国制覇(1987年)の原稿を書いたことぐらいだ。

さて、W杯ドイツ大会でアッズーリの前評判は決して高くはなかった。開幕直前に「カルチョーポリ」と呼ばれるセリエAを中心とした八百長事件が発覚、司直の手は代表候補選手にまで及んだ。国民の間からは「W杯出場を辞退すべきではないのか」との声も出て「シラケムード」が漂っていた。

しかし--。始まってみれば、イタリア代表は苦境を逆バネに変えた。名将マルチェッロ・リッピに率いられた選手たちは、主将ファビオ・カンナバーロ(同年のバロンドールを獲得した)を中心とした堅守とチームワークで国民の心を再び掴み取ると、ドイツ、フランスと優勝候補をなぎ倒してトロフィーを手にしたのだ。

移民問題、南北問題を抱えるイタリアが、唯一「ひとつ」になれる時、それがW杯サッカーである。

テレビの視聴率は80%を超える。試合が始まると、街には人っ子一人いなくなる。アパートの窓越しに、文字通り、テレビに「かじりついて」声援を送る家族たちの姿が見える。勝利の後は、老若男女、皆が広場に繰り出しお祭り騒ぎだ。耳をつんざく爆竹の音。派手なクラクション。走行中の車の窓から身を乗り出して、イタリア国旗を振り回す人々。お祭りは明け方まで続く。

ペルージャには、世界的に有名な国立大学付属の語学学校があり、イタリア語を学びに世界中からたくさんの若者がやってくる。W杯期間中は、さらに「国際色」が豊かになる。その雰囲気がたまらなくいい。

あれから8年--。いつかまた、あの時の雰囲気を味わいたいと思い続けてきた。2010年南アフリカ大会は、フリーランスライターになってまだ間もない頃で、日本で仕事を探すので精一杯だったが、今回はチャンスを逃したくないと思っている。ただ、単なるバカンスではない。僕にはイタリアで書きたいテーマがたくさんある。W杯観戦はあくまで“息抜き”であり、8割方は取材旅行となる。

グループリーグを突破すれば、決勝トーナメント1回戦で日本とイタリアが対戦する可能性がある。日本がコロンビアを破るのは難しいだろうから、グループ2位通過か。ならばイタリアが、ウルグアイ、イングランドらを抑えてグループ1位になれば、両国の対戦が実現する。

これまで、イタリアには決勝でブラジルを倒して5度目の優勝杯をつかんで欲しいと思ってきた。しかし、「ザックジャパン」にも出来る限り上を目指して欲しい。贅沢な悩みだ。

まあ、「取らぬ狸の皮算用」をするのはここでやめておこう。

とりあえずは、半年後までに、イタリア国歌「Inno di Mameli(マメーリの賛歌)」を5番までソラで歌えるようになることだ。