芥川の「蜜柑」は甘酸っぱい

2013年12月10日 16:43

正岡子規は、「柿」が大好きだった。漱石の「三四郎」には果物を食べる場面が多い。樽柿、林檎、そして蜜柑。当時は、紀州蜜柑から現在の主流の「温州蜜柑」に代わる時期だったそうだ。いずれにしても、贅沢品であったことには変わりない。

この季節、みかんがおいしい。フランス人の友人は、自国にはこんなうまい「ミカン」はないと一日に何十個もパクパク食べている。

芥川龍之介の「蜜柑」を読み直してみた。やっぱり、味わい深い作品だ。

曇った冬の日暮れに、横須賀線の列車で乗り合わせた13,4の小娘を主人公の男が観察する話だ。

ひびだらけの両頬を気持ち悪い程赤く火照らせた、いかにも田舎者らしいその娘が、ある貧しい町はずれの踏切に通りかかったときに、「事件」を起こす。

その娘は、踏切のところに立っていた頬の赤い三人の男の子めがけて勢いよく「蜜柑」を投げてやるのである。

そのとき男は、「刹那に一切を了解した。小娘は、恐らくはこれから奉公先へ赴こうとしている小娘は、その懐に蔵していた蜜柑を窓から投げて、わざわざ踏切りまで見送りに来た弟たちの労に報いるのだ」。男は、「昂然と頭を上げて、まるで別人を見るようにあの娘を注視した」。そして、この時初めて、「云いようのない疲労と倦怠とを、そうして又不可解な、下等な、退屈な人生を僅かに忘れる事が出来るのである」と結んでいる。

何て甘酸っぱい「蜜柑」なんだろう!