第4回:修道院の大広間に作られた荘厳な"古書の空間"~アンジェリカ図書館(歴史的中心街)
ドーム形ヴォールトと張り出し回廊付きの書棚に囲まれてダンテやペトラルカの古書に浸る~Biblioteca Angelica(ビブリオテーカ・アンジェリカ)~
住所:Piazza Sant'Agostino , 8
電話:0668408053
開館日:月~土
『ローマ、癒しのスポット』の4回目は「図書館」がテーマである。
図書館といえば、青春時代のよき思い出だ。
高校3年間を遊び呆けて過ごした僕は「宅浪」(自宅浪人)となった。
正確に言うと、当時郷里にあった唯一の予備校に入学金と授業料を納めたものの、たった2日でその雰囲気が嫌になり、通うのをやめてしまったのだ。父は単身赴任中。お弁当を作って送り出してくれる母に打ち明ける勇気はなく、毎朝8時過ぎには自宅を出た。行き先は自転車で5分ほどの県立図書館。お昼になると市街が一望できる近くの城跡公園でお弁当を食べ、周辺をブラブラ散歩して図書館に戻ると、閉館時間まで勉強を続けた。その後、予備校からは一度も連絡はなかった。
翌春、ラッキーにも志望校に受かって「図書館通い」は終わったのだが、母はそんな私の行動に気付いていたのだろうか...。しかし、それを尋ねる前に、母は天国に旅立ってしまった。
大学では再び遊び呆けてしまい、図書館とは無縁の生活だった。社会人となってからも古い雑誌をコピーしに国会図書館を2、3度訪れた程度だったが、四半世紀が経って、思いもかけず"青春の日々"が戻ってきた。
45歳の夏、僕は20年近く勤めた新聞社を半ば衝動的に辞めるとイタリアの大学に入りなおした。1ユーロが160円前後という超円安時代。ろくに蓄えもない僕は、1日も早く学位を取ってフリーランスライターとして歩み出さなければならなかった。そのためには朝から夜まで集中して勉強できる場所が必要であり、それが大学の図書館だった。
イタリアの学生は日本の学生とは違い、ほとんどアルバイトというものをしない。授業料がかなり安く、寮や学食が無料になるなど奨学生制度がしっかりしているということもあるが、卒業論文や期末試験や日々の授業のレポートに追われて忙しいというのも大きな理由だ。
というわけで図書館は連日込み合っている。そんな場所を「癒しのスポット」と表現するのは相応しくないのでは、と読者の皆さんは思うかもしれない。だが、イタリアの図書館は日本のそれとはかなり趣が異なるのだ。僕が通ったペルージャの大学は、18世紀に建てられた貴族の館をそのまま使用しており、図書室もかつての書斎の間をリメイクしたもの。デスク・椅子・書棚などの調度類も品があり、低照度の室内には落ち着いた雰囲気が漂う。まさに「癒しのスポット」なのである。
イタリアでは大学や自治体のほかに宗教団体も図書館を運営している。そしてローマの歴史的中心街の真ん中に、欧州でも屈指の伝統を誇るカトリック系の公立図書館があると聞きつけ、さっそく訪ねてみることにした。
『Biblioteca Angelica(アンジェリカ図書館)』は、ナヴォーナ広場の裏手、サンタゴスティーノ広場の一角にある。ナヴォーナ広場からリナシメント通りをテヴェレ川に向かって北に2分ほど進み、T字路を右折して小道に入ると、あたりには下町情緒が漂い出す。左手に駐車スペースが広がり、その先の階段の上にサンタゴスティーノ教会(Basilica di Sant'Agostino)が初期ルネサンス様式のいかめしい外観を見せてそびえている。
同教会は4世紀の神学者である聖アウグスティヌス(伊語:アゴスティーノ)に捧げられたもので、1483年に完成した。フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ教会に倣ったファサードはレオン・バッティスタ・アルベルティの設計で、コロッセオから切り出した大理石が利用されている。
カラヴァッジョのファンならば訪れたことがある人もいるのではないだろうか。ここには、彼の最高傑作のひとつ、『ロレートの聖母』(Madonna dei Pellegrini)がある。ロレートとは、マルケ州にある人口約1万人の町で、キリストの生家が1294年にイスラエルのナザレから異教徒の手を逃れて飛来したという伝承から古くから巡礼地となっている。聖母マリアが幼子キリストとともにサンタ・カーサに乗って天使たちに運ばれる情景がそれまで一般的だったのに対し、カラヴァッジョはキリストを抱えた聖母が薄暗い扉口の敷居の上に立ち、その斜め下に、短いマントを被って杖を持つ巡礼姿の男女がひざまずいて礼拝している姿を描いた。"奇跡性"を取り去って、貧しい巡礼者を写実的に描いた、当時の宗教画としては異色の作品である。
さて、サンタゴスティーノ教会の壮大なファサードに目を奪われ、向かって右隣にひっそりと小さな門があることに気付く人はほとんどいない。その奥に建物の入り口が見える。ここがアンジェリカ図書館の玄関である。大理石の階段を上った2階が受付兼ロビーになっており、創設者アンジェロ・ロッカの肖像が来館者を迎えてくれる。
この図書館は『ロレートの聖母』が完成したといわれる1604年に、聖アウグスチノ修道会の司教でローマ教皇庁の要人であったロッカによって同修道会の僧院内に設立された。
ロッカは、教皇庁の財政立て直しに辣腕をふるい公共事業を推進してローマを現代に近い形に整備した教皇シクストゥス5世を補佐して、対抗宗教改革(カトリック改革)を推し進めた。同時に作家・博識家でもあり、本の収集家や印刷美術に関する専門家としても知られ、自らの蔵書を寄贈する形で図書館は開館した。
一般大衆に開放された公立図書館としてはイタリアでは3番目。1975年からはイタリア文化財省の所管となっている。
ちなみにイタリア最古の公立図書館は1454年に開館したチェゼーナのマラテスティアーナ図書館。同館は欧州最古の公立図書館でもあり、ユネスコの世界記憶遺産に登録されている。2番目は1586年創設のナポリのジロラミーニ図書館であるが、いずれもいまだバリバリの"現役"であるというのがスゴイ。
受付の女性に来館の目的を告げると「どうぞ、お入りください。フラッシュを焚かなければ写真を撮っても大丈夫ですよ」と笑顔で歓待してくれた。マナーさえ守れば観光客も館内を見学できるという。
広大な閲覧室の中に一歩足を踏み込んでみれば、そこは図書館というよりは聖堂のような空間だった(もともとここは修道院の大広間だったのだ...)。
ただ聖堂と異なるのは、四方の壁が全面、書棚となっていることだ。
この"天使の図書館"に所蔵されている書物は約20万巻。そのうち半数以上は15世紀から19世紀にかけて出版された古書(写本・印刷本)だ。言語はラテン語・ギリシャ語・イタリア語・東洋語など。古書の数は現在もなお寄贈や新規購入などによって増えているという。それらの大半は、聖アウグスティヌスと同主義の思想や同修道会の活動内容、宗教改革と反宗教改革の歴史に関するものだが、ダンテやペトラルカ、ボカッチョに関するコレクションなど15世紀から18世紀にかけてのイタリア文学・劇文学の蔵書も充実している。現代の書物も豊富で一般貸出しも行っている。イタリア内外の定期刊行物(各種雑誌・新聞)もそろっている。また、約1万点もの版画・地図もある。さらに館内のショーケースの中には、中世の写本制作の光景を描いた資料や修復作業を待つ古書などが収められている。閲覧室の開館時間は月・金・土が8時15分~13時45分、火・水・木が8時15分~19時15分。
書庫の群れは壁に張り付くようにして天井まで伸びている。一体どうやって本の出し入れをするのだろうと考えていると、突然、書棚の"一部"がドアのように開いて、中から司書が姿を現した。
ホールの中央はテーブル席(座席数34)となっており、残念ながら観光客は立ち入ることができない。そこでは文献の閲覧だけでなく、卒論制作などにあたって同館の学芸員らに助言や指導を乞うこともできる。
同館の所蔵本の中で最も貴重なのは、羊皮紙に鉛丹で描かれた細密画入りの14世紀のダンテ『神曲』(地獄篇・煉獄編・天国編)。1516年4月22日にフェッラーラで出版されたルドヴィコ・アリオストの『狂えるオルランド』の初版も保管されている。イタリア中世文学を研究する者にとって同館は原点といえる。
それにしても--。イタリアの政治の中心地である上院、そして観光の中心地・ナヴォーナ広場から目と鼻の先に、このようなオアシスがあるとは‥‥。読書をしたり、瞑想に浸ったり、あるいはただ「美しさ」にうっとりするための理想的な空間である。
高窓から差し込む柔らかな初夏の陽光の中で、一心不乱に机に向かう若者たちを見ていたら、なぜか浪人時代の自分の姿が脳裏に浮かんできた。そして、こんなにも素晴らしい環境の下で勉学に打ち込むことができる彼らをちょっぴりうらやましく思うとともに、もう一度、図書館通いをする日々も悪くはないかな、と思った。