第3回: 1850年創業、サヴォイア王家御用達の伝統を受け継ぐチョコレート工房(歴史的中心街)
いにしえのティーサロンの雰囲気が漂う「Confetteria Moriondo e Gariglio」(コンフェッテリーア・モリオンド・エ・ガリーリオ)
住所: Via del Pie' di Marmo, 21-22
営業日: 月曜~土曜
tel: 06 6990856
皆さんは、疲れた時や一息入れたい時、あるいは、これから骨の折れる仕事が待っていてエネルギーを充電しておきたい時、どうしているだろうか。
僕はまず、いつもより砂糖を多めに入れたエスプレッソをクイッと飲み、そしてチョコレートを2、3粒口に入れる。
そう、『ローマ、癒しのスポット』の3回目は、そのチョコレートが主人公である。
チョコレートといえば、高カロリー・高脂肪・高糖質とあって昔から「鼻血が出る」「肌荒れのもと」「ダイエットの敵」「虫歯になりやすい」などネガティブなことも言われてきたが、最近ではその医学的効用がいろいろと証明されている。
たとえば、ポリフェノールの抗酸化作用による動脈硬化の予防、コレステロール値を下げる、ガンの発生を抑える、アレルギーや胃潰瘍の予防――。カルシウム、鉄分、マグネシウム、亜鉛などのミネラルがバランスよく含まれ、食物繊維も豊富である。
さらに、その甘い香りには集中力や記憶力を高める効果があるという。テオブロミンという成分に神経を鎮静させる作用があることもわかっている。それゆえに「癒し」にはまさにうってつけの食べ物なのである。
ヨーロッパでチョコレートといえば、ベルギーやスイスあたりを思い浮かべがちだが、欧州中にチョコレート文化を広めたのは、実は北部イタリア・ピエモンテ州の古都トリノだと言われている。
ではここで、チョコレートの歴史を簡単におさらいしておこう。
チョコレートの原料となるカカオ豆は、南米大陸が原産地。現地の人々は焙煎したカカオ豆をペースト状にして疲労回復などの薬として飲んでいた。1528年、アステカ帝国を征服したフェルナンド・コルテス将軍によってカカオ豆がスペイン国王カルロス一世に献上され、欧州に初めてチョコレートが紹介された。その頃のチョコレートは苦味が強く人々の口に合わなかったが、やがて砂糖を加えて口当たりをよくする工夫がなされ、一気にホット・チョコレートとして広まった。ただし、チョコレートは王族や貴族など特権階級だけのもので、その製法は門外不出の秘伝とされていた。
1563年、サヴォイア王国のトリノ遷都を祝って国王フィリベルト・エマヌエーレは、チョコラータと今も呼ばれているホット・チョコレートをトリノ市民に振舞った。これが、一般市民とチョコレートの最初の出会いとされる。
1678年、チョコレートの歴史において大きな転換点が訪れる。トリノのアントニオ・アッリという菓子職人にチョコレートの製造と一般向けに販売する権利が6年間に限って王室から授けられたのだ。瞬く間にトリノはチョコレート加工技術の中心地となり、欧州中から数多くの菓子職人がトリノに集まった。こうして大衆向けにもチョコレートが作られるようになり、トリノで修行した職人たちによって、スイス・ベルギー・パリなどでチョコレート文化が花開いたのである。
18世紀、チョコレート文化の中心都市となったトリノからは、欧州一円に毎日340kgものチョコレートが輸出されていた。今でもトリノでは年間8万5千トンのチョコレートが生産され、世界中のチョコレート愛好家に向けて輸出されている。
それでは、"ローマの癒しのスポット"にトリノのチョコレートがどう関係があるのか。そうなのである。前置きが長くなってしまったようだ。実は、トリノ生まれでローマ育ちの隠れた老舗チョコレート工房がローマのチェントロ・ストーリコ(歴史的中心街)の真ん中、パンテオンの近くにあると聞きつけ、訪ねてみることにした。
ショッピングの"メッカ"コルソ通りからラータ通りという小道に入ると、それまでの喧騒がウソのような別世界の静けさが広がる。ラータ通りの突き当り、コッレージョ・ロマーノ広場からパンテオン方面に少し行ったピエ・ディ・マルモ通りに同工房がある。小さな集合住宅の1階部分で、店名が記されただけの"控えめなドア"しか目印はないので、注意しないと見過ごしてしまう。
きしる鋼鉄の扉を開けて、敷居を一歩またぐと、時が止まったかのような雰囲気に包まれた。使いこまれた年代物のレジスター。ほの暗い店内には、朱色の内装と黒光りした家具・調度がマッチしている。いにしえのティーサロンの中に身を置いているようだ。1800年代末の映画のワンシーンに入りこんだような感覚‥‥。
奥のカウンターで経営者のピエラ・ミネッリさんが微笑みとともに迎えてくれた。
「ホント、やすらぎを感じますね」と言うと、
「ありがとう。実際に、多くの人がアンチストレスの場所として訪れるんですよ。30分から1時間かけて、くつろいでいかれる方も。精神科医よりもよいと語るお客様もいるくらいです」とミネッリさんは答えた。
店内にはテーブルが4つ置かれており、そこに座ってゆっくりと味見をしながら品定めをすることができる。
歴史を感じるのは家具・調度ばかりではない。同工房は、ローマに最初に"真のチョコレート"を伝えた歴史的名店なのである。
1850年、アゴスティーノ・モリオンドとフランチェスコ・ガリーリオの従兄弟が、彼らの名を冠したチョコレート工房をトリノ市内に開設した。同店はサヴォイア王家の御用達となり、やがてイタリア王国の首都がトリノからフィレンツェを経て1870年にローマに移されると、彼らも王家の一行と共に"永遠の都"に居を移し、コルソ通りに最初の店を構えた。
その後、多くの変遷と多くのマエストロたちの時代を経て、今から40年ほど前にマルチェッロ・プロイエッティとピエラ・ミネッリの夫妻が同店の経営を引き継ぎ、1992年に息子のアッティーリオさんとともにピエ・ディ・マルモ通りに引っ越した。
天才と謳われたチョコレート職人、カルロ・エンリコ・クニベルティ氏から伝授された、創業当時から伝わる製法をミネッリさんは守り続けている。おいしいチョコレート作りの秘訣は「可能な限りよい品質の原料を使い、2、3回以上はかき混ぜないこと」だという。
チョコレートは約80種類の中から選ぶことができる。ブラック、ミルク味、フルーツ味、コーヒー味、ピスタチオ味、リキュール味、そのほか数多くのコンビネーション、リキュール漬けのサクランボ入りチョコ、ハシバミの実入りチョコレート‥‥。
新鮮なシロップ漬けのマロングラッセ(長くて3日ぐらいしか持たない)もお薦めだ。コンフェット、プラリーネ、ヌガー、アーモンド菓子、フルーツゼリー。何を買ったらいいのか迷ったなら、彼女たちに気兼ねなくアドバイスを求めてほしい。ベストな選択を親切に教えてくれる。プレゼント用の包装や籠も各種揃っている。
同工房は手作りチョコレートを製造・販売するローマ最初の店であるが、加えて、いまや復活祭に欠かせないチョコレートの《Uova di Pasqua》(パスクアの卵)の中にプレゼントを入れた最初のチョコレート工房でもある。
僕が取材に訪れたのは7月上旬、灼熱の季節。チョコレート業界の閑散期とあって、テーブルでは女性店員たちがのんびりと雑談をしながら、卵の中に入れるプレゼントを一つずつセロハン紙に包む作業をしていた。数が多いので、比較的ひまな夏場から準備をしておかなければ間に合わないという。シーズン(3月~4月)になると海外で暮らすイタリア人からも注文が押し寄せるという。
チェントロでのショッピングの帰途、あるいは余りの人混みに疲れて静けさと甘いものが欲しくなったら、ぜひ同店を訪れてほしい。癒されること請け合いである。