第2回:水道橋公園(アッピア街道~トゥスコラーナ街道)
古代ローマ遺跡の壁がゆっくりと夕日に染まってゆくのを眺めながらローマの大平原を散歩する~水道橋公園(Parco degli Acquedotti)~
住所:Via Lemonia , 256
漫画家・ヤマザキマリさんが『テルマエ・ロマエ』の執筆を思いついたのは、全ローマ皇帝の名前を空で言えるほどの“古代ローマおたく”であるイタリア人のご主人が、日本の家風呂を見て笑いながらこう言ったのがきっかけだったという。
「古代ローマ人なら日本の風呂の良さをわかってくれるぞ」
4世紀、ローマ市内には『ディオクレティアヌス帝の浴場』や『カラカラ浴場』をはじめ11の大浴場と900もの小浴場があったといわれる。今日、イタリア国内を旅していても浴槽付きの部屋があるホテルを探すのは(高級ホテルを除いて)難しいが、古代ローマでは庶民がわずかな使用料(あるいは無料)で公衆浴場でくつろいでいたのだ。そして、これらの「ローマ風呂」の繁栄を可能としたのが、遠い水源地から水を導いてくる長大な導水管施設~精巧な計算のもと建築された水道橋~であった。
紀元前312年から3世紀にかけてローマには11の水道橋が建設されたが、今もなお当時のままの姿を間近に見ることができるスポットがテルミニ駅から30分ほどの所にあると聞き、訪ねてみることにした。
地下鉄A線でテルミニ駅から13駅目、スバウグスト(Subaugust)駅で降りる。改札を出ると通路を左に進み、Via T.Labieno方面と表示された階段を上って地上に出る。中央が緑地帯となった大通り(ティート・ラビエーノ通り)をまっすぐ進む。5分ほど歩くと、向かい側が保育園のT字路に突き当たり、その近くに公園の入り口がある。『水道橋公園』を示す看板や目印、建物などは全くない。あるのは車両進入を防ぐバーぐらいだ。古代遺跡の入り口とはまるで思えない。
イタリア語の名称は「Parco degli Acquedotti」。「水道橋」が単数形のAcquedottoではなく複数形になっているのは、アッピア街道とトゥスコラーナ街道の間に広がる15ヘクタールの公園内には、異なる年代に造られた7つの水道橋が地上と地下を走っているからだ。
広大な原っぱには児童用の遊具が置かれ、親子連れやジョギングに汗を流す市民の姿が見える。観光名所というよりは近隣住民の憩いの場といった雰囲気だ。
ルネッサンス時代(16世紀後半)にシクストゥス5世によって造られた『フェリ-チェ水道』の導水管(写真上)を渡る。すると1本の並木道が伸びており、その先に水道橋の雄姿が見えた(写真下)。
この水道橋は古代ローマ時代8番目の水道である『クラウディオ水道』。クラウディオ帝の命により紀元52年に完成したもので、同公園内を走る部分は全コースの中で最も良好に保存されている箇所という。
古代ローマの土木技術で感嘆するのは、その厳密な精度計算である。水を流す仕組みは重力に完全に頼っており、水道橋は1kmあたり34cmの傾斜で造られていた。古代ローマ帝国滅亡後も16世紀に新たな水道が造られるまで1000年以上、これに匹敵するものは造られなかった。
さて、水道橋のアーチをくぐって(写真上)並木道をさらに真っ直ぐ進む。すると左手に広大な草原が広がっている(写真下)。
「日本人だったら絶対にゴルフコースにするだろうな~」などと思いながら歩いていると、「コーン」と乾いた音がする。しばらくするとまた、「コーン」と打球音のような音が。
あたりを見渡してみてビックリした!
そこは本当にゴルフ場だったのだ!
セルフ方式らしく、数組の男性たちがキャリーカートを引きながら、悠然とプレーを楽しんでいるではないか。
そして、水道橋の壁に向かってドライバーショットやアプローチショットを放ち、グリーン上で真剣に芝目を読んでいる(写真下)。
もし打球が間違って遺跡の壁に当たったらならば……。少なくとも、私の腕前だったら十分にありうる話だ。一応、保護用のフェンスはあるにはあるが、高さは2mに満たず、それもところどころ破れたり、曲げられている(写真下)。それにしても、この国の遺跡保護基準は一体どうなっているのだろうか???
まあ、イタリアらしいといえばそれまでだが。
水道橋のあるこの一帯は、1700年代や1800年代には風景画家や芸術家たちの格好の目的地だったという。1900年代に入って放置され荒廃が進んでいたが、80年代になって破壊を防ぐために保護団体が生まれ、現在は素晴らしい「野外博物館」として市民や旅行客らの癒しの場となっている。
おすすめの時間帯は日没時だ。
古代遺跡の壁がゆっくり茜色に染まってゆくのを眺めながら、ゆったりと大平原を散歩する。
まさに至福のひと時である。