子供の夏休みの宿題は、親にとっても悪夢? いまや「家族総出のイベント」に~コリエレ・デッラ・セーラ紙の調査で55%が「手伝ったことがある」~

2014年09月13日 11:51

イタリアの多くの小中学校は、15日が新学年の始業日。つまり、子供たちにとっては今週末が最後のお休み。たまっている宿題を片づける“ラストスパート”だ。さすがに日本のように「宿題代行業者」なるものは存在しないが、「子供の宿題に手を貸すべきか否か」という悩みは、日伊双方のお父さん、お母さんにとって共通命題のようだ。コリエレ・デッラ・セーラ紙のオルソラ・リーヴァ記者が、いまや「家族総出のイベント」となりつつある夏休みの宿題についてリポートしている。

同紙が行った読者アンケートによれば「子供の夏休みの宿題を手伝ったことがあるか」との問いに「ある」と答えた人は過半数(55%)に上っている。

だが、リーヴァ記者によれば、親が子供の宿題を手伝うのは、「自分たちの子供の“醜態”を担任に見せたくない」という親の見栄からである。その気持ちが強ければ強いほど、親が加担する割合も高くなり、ついにはすべて親が指図することになるのだ。

たとえば、小学1年生の図画の課題である「草原の光景」。

無限に広がる真っ青な空と緑の草原。そんなものは実際にはない、間違っている、と知りつつも、青と緑の色鉛筆で“あなた”はスペースを塗りつぶすのだ。そして子供たちはこう尋ねる。

「ママ、まだ色を塗るの?」

フランスに憧れるイタリア人は多い。フランスには夏休みの宿題がないからだ。それだけではない、年間を通じて小学生に対しては宿題を出すことが禁じられている。「平等」という名のもとに。つまり、それは「リッチな子」と「貧しい子」、「フランス語を母国語とする子」と「移民の子」との間の差別のもとになってしまうから、と彼らは言う

一方、英国では夏休みの宿題はあるものの、何冊か本を読んでその要約と感想を書くというものだ。

イタリアにおいて問題なのは、夏休みが英国の2倍、フランスより1カ月も長いことだ。イタリアの13週間に対して、英国は6週間、フランスは9週間である。

こうしたことも踏まえて、「夏休みの宿題は必要か?」と問うならば、私(リーヴァ記者)の答えは「イエス」である。ただし、それには条件がある。ただ、通常の授業ですでに習ったことの復讐や機械的な反復練習的なものは害にしかならない、ということだ。

ミラノ・ビコッカ大学のラッファエッレ・マンテガッツァ講師(教育学)は次のように語る。

「私が心配しているのは、夏休みの日記に創造力が欠けていること。子供たちに必要なのは、彼ら独自の体験をまとめて表現する力なのです。“あなた”の夏を物語って、写真を集めてそれらをコラージュし、英語でコメントを入れるなどの創意工夫を凝らすこと。もしそれがドリルのような宿題だとしたら危険です。何ら新しいことを学んだりしないし、何の役にも立ちませんから」

ミラノ市の教育担当責任者であるフランチェスコ・デッローロ氏は、宿題の本来あるべき姿は「子供たちにやる気を出させ、かつ好奇心を刺激して彼らの脳を疲れさせるような課題」でなければならない、と説く。

そうであるならば、親が手伝うということは「百害あって一利なし」である。

「もし私たちが自分たちの子供を本当に助けたいと思うのであれば、来年からは宿題を手伝わないことだ」とデッローロ氏は言う。

「よく私のところに、子を持つ親がやって来ます。学校でひどい成績表をもらって助けを求めにくるのです。息子に本を読ませるにはどうしたらよいのでしょうか、と。そんなとき、私はこう言うんです。指図は少しだけにして、あとは子供たちに勝手にやらせなさい、と」

言うは易しく行うは難し--夏休みの課題図書を一目見た“あなた”は、それが“やっつけ仕事”では決してできないことにすぐ気づきます。

「子供たちが宿題をしているかどうかチェックはしなければいけませんが、それに介入してはいけません。安易な口出しは、互いの不信感を深めるだけです」とマンテガッツァ氏は言う。

それでは、宿題が難しすぎて子供たちがもうこれ以上できない時にはどうしたらよいのか。

「そんな時は無理してやる必要はありません。学校に戻った時に、どうすればよいか担任に尋ねればよいのです」

イタリア語には《Sbagliando si impara。》ということわざがある。おばあちゃんたちが昔よく言っていた。

訳して「人間は間違えながら覚えていく」である。

最後にリーヴァ記者は次のように記事を締めくくっている。

「間違えることは大事である。子供たちには、間違ってもいいということを親は知らせなければならない。危険なのは、教師に自分の子供のカッコイイ姿を見せたいという親側の『ナルシズム』の犠牲に子供たちがなってしまうこと。だから、本当に子供を助けたいと思うのであれば、来年から我々は一歩下がって子供たちを見守ることにしましょう」