全身で物を見る人
俳句でもなんでもそうだけど、褒められて調子に乗るとろくなことはない。
「自分が自分でなくなって、意識過剰になってしまう」からだ。俳句を詠む自分を見失ってしまうということだろう。
上田五千石の「生きることをうたう」を読んだ。
生きる姿勢は自然と詠んだ句に表れるという。
「ひたすら歩くことを始めたのでした。(中略)脳の中を空っぽにしてみたかったのです」。
要は、無心になることなのだと五千石は書いている。
僕は、最近歩くことよりも自転車で走り回ることが多い。また、歩くことを始めようか。
五千石の俳句初心は、「いのちだけが大切」だったはずなのに、すいぶん遠回りしたものだと語る。
「目だけでなく、全身で物を見ようとするのです」。考えるというより先に判断があり、行為があるのだとも語る。
彼は、歩きながら、こんな句を詠んでいる。
「竹の声品々と寒明くるべし」。
竹のさやぎをふりかむって読んだ句なのだそうだ。
とても素晴らしい句だと思う。そして、自分の句の稚拙さを改めて思う。