俳句のこだわりについて

2013年12月13日 22:14

「俳句を生きる」とはどういう意味だろうか。

俳句は「私、僕、俺」にこだわる表現であるということだ。

一茶はその筆頭かもしれない。

「我と来て遊べや親のない雀」。

俳句を詠もうとすると、否応なく、自分を意識することになる。と同時に、自分がはっきり見えてしまう。

日常のありふれたことのなかに「隠れていた世界」がひょこり顔を出す。

だから、日々のことを詠んでいても、優れた句には、「裂け目」があると思う。

自分の身の回りの出来事は、実は、ほとんど見ていないと言っても言い過ぎではないだろう。

俳句には、その見ていないものを見ようとする意志が大事なのだ。

「生きながら止まり止まりつ冬木立」。