伊リミニ検察が、2004年2月にコカインのオーバードースにより死亡したマルコ・パンターニ氏の“自殺事件”を、殺人事件に切り換えて再捜査に着手
1990年代を代表する自転車ロードレース界のヒーローで、ツール・ド・フランスやジーロ・ディターリアなどでイタリア国民を熱狂させたマルコ・パンターニ氏が、ホテルの一室で死体で発見されてから10年の歳月が流れた。これまでパンターニ氏の死因は、生前常用していたコカインのオーバードースによる自殺と結論付けられていたが、リミニ検察はこのほど、同氏が何者かに殺害されたとして、殺人事件として再捜査に乗り出すことを決めた。8月2日付「ガゼッタ・デッロ・スポルト」がスクープとして報じ、捜査当局側も報道内容を認めた。
パンターニ氏は2004年2月14日午後9時半ごろ、宿泊先のリミニのホテル「Le Rose」5階の部屋内で床に倒れて死亡しているのを発見された。調査の結果、脳と肺に水腫ができていることが判明、死因はコカインの常用によるオーバードース(過剰摂取)で自殺と結論付けられた。
ところが、これに対してパンターニ氏の遺族側は異を唱え、とりわけ母親のトニーナさんは強硬に、
「息子はホテルに1人でいたのではなく、他に複数の人間がいたと思われる」
「息子はカラビニエーレ(軍の任務のほかに、司法や公安の任務にも就く特殊警察)を呼び、その1時間後に死体で発見された」
「部屋の中からミラノ(の自宅)に置いてあった息子のジャンパーが数着見つかったが、同ホテルに着いた時には手荷物はなかった」
など、死因に不審点が数多くある、と再三再四にわたって主張。弁護士を通じてリミニ検察に再捜査を要求していた。
こうした遺族側からの請願書をリミニ検察側が受理。「体内から大量の麻薬成分が検出されたが、これらの量は水に溶かしてはじめて摂取することができる。彼は何者かに殴られ、コカインを飲むように脅された。よって自殺ではない」と推測、殺人事件として再捜査に着手することを決めた。
同ニュースが駆け巡った日(8月2日)は、奇しくも16年前(1998年)にパンターニ氏が「ツール・ド・フランス」で優勝し、「ジーロ・ディターリア」と合わせて2冠を達成した記念すべき日。Facebookを通じて「マルコは二度と戻ってくることはないが、私は真実を求めている」と再捜査決定の喜びを語ったトニーナさん。まさに子を想う母の執念が実った形だ。
※マルコ・パンターニ氏は1970年1月13日生まれ。出身はチェゼナティコでサッカー日本代表前監督のアルベルト・ザッケローニ氏とは同郷。1998年「ジーロ・ディタリア」「ツール・ド・フランス」で個人総合優勝。スキンヘッドにバンダナ姿、あごひげをたくわえた風貌から「イル・ピラータ(海賊)」と呼ばれ、愛された。