ミラノ万博開催に合わせドゥオモに展望エレベーターを新設する計画が浮上、賛否両論が噴出
ミラノの観光名所と問われて、真っ先にその名が挙がるのが、Duomo(ドゥオモ)こと「ミラノ大聖堂」。
ヨーロッパにおけるゴシック建築の代表的な教会で、1386年にヴィスコンティ家の命を受け起工、広くフランスやドイツからも建築家や職人が集められ、1813年に完成した。聖堂全体が白大理石で覆われており、林立する小尖塔は135基。地上高108・5mからマドンニーナと呼ばれる金色のマリア像が市街を見下ろす。
そんな“ミラノの象徴”であるドゥオモで今、「展望エレベーター」建設の是非を巡り、熱い論争が展開されている。コリエレ・デッラ・セーラ、レプッブリカなど新聞各紙が伝えている。
2015年の5月1日から10月31日まで、ミラノで国際博覧会が開催される。主催者側は期間中2000万人の入場者を見込んでいるが、同万博の開幕に合わせてドゥオモの所有主である「La Veneranda Fabbrica」が昨年11月、大聖堂北側の外壁に沿って尖塔が立ち並ぶ展望デッキまで見物者を運ぶ「全面ガラス張りエレベーター」の建設計画を発表した。
現在、大聖堂内部には地上と屋上をつなぐ見物者用エレベーターが2基ある。ところが、一度に運べる人数が7人までと小型で、昇降スピードも遅いため、順番待ちの行列が絶えない。さらに、車椅子の入場が禁じられている。「La Veneranda Fabbrica」にとって、高齢者や身障者も安心して乗れる新型エレベーターの設置は長年の悲願であり、今回、世界中から観光客や貴賓客が集まるミラノ万博に合わせ、同計画の実現を目指している。
計画書によると、大聖堂北側のファサードに沿って直径14cmの鋼管で枠組みを作り、その内部に2基のエレベーターを格納して、モノレールのように昇降させるもの。一度に21人を運ぶことができる。枠組みは工場で造り、9つに分割してドゥオモまで運んで溶接して組み立てるため、工事期間中の騒音など近隣住民や観光客への影響は最小限に抑えられるという。また、将来的に大聖堂の建物自体を傷つけたり、地下を走る地下鉄に悪影響を与えることもないという。工期は工場作業に半年、組み立てに2カ月を予定。建設費用400万ユーロ(約5億6000万円)は全額、民間のスポンサーが負担する。
「La Veneranda Fabbrica」によると、ドゥオモの入場者数は年間500万人、うち屋上のテラスに上る者は、エレベーター(料金12ユーロ)と階段(同7ユーロ)合わせて70万人。万博開催期間中は、ふだんの10倍もの入場者が予想される。「現在でも日曜日にはエレベーターの待ち行列は40mにも達する。入場者の全員が元気に201段の階段を登れるわけではない。雨だと滑りやすくなるし、登りながら写真を撮ることも難しい。ハイテクエレベーターの新設は、ミラノを世界中に印象付ける絶好の機会となるし、万博にお客を呼ぶための切り札にもなる」と説明する。
ところが同計画に対して、国の記念建造物保護局は「歴史的建築物にガラス張りのエレベーターを設置するという景観上の問題、設置工事が教会本体や地下鉄の構造に与える影響をはじめ、このような“デリケート”な場所にエレベーターを建設するというのは問題点がありすぎる」と異を唱えている。
「万博客にミラノのパノラマを楽しんでもらおうと思ったら、より高層の建物は他にもある。それに膨大な見物者を受け入れることになれば、バールなどのサービス施設の検討も除外できなくなる。だが、ここは神聖な祈りの場なのだ」
「切符収入(エレベーター料金)の20%をスポンサーである民間企業が受け取るということは、エレベーターの建設は一種のマーケティング活動なのではないか」
こうした国側の主張に対し、「La Veneranda Fabbrica」では、
「エレベーターの使用料金による収益は、いまもなお建築作業中である大聖堂の建設費や補修費に充てることができる。もし常設が難しいならば、万博開催期間中だけに限ればいい。解体作業は10日で済む」と反論。さらにミラノ万博実行委員会のベッペ・サーラ委員長も、
「他の国の首都は大イベントを最大限に利用して、より魅力的で親しみやすい施設を作り出している。ミラノも先入観を排除して、よりよい“もてなし”を提供するためにどうしたらよいか、自問自答しなければならない。ノーと言う前に、まず我々に何ができるのか行動を起こそうではないか」と建設に賛同する。
ミラノ大聖堂への展望エレベーター設置は、勇気ある「革新」なのか、それとも単なる「破壊」なのか。
あるニュースサイトが読者を対象にアンケート調査を行ったところ、エレベーター建設に賛成は48%、反対は44%、「わからない」が6%と、まさに両派拮抗の状態だ。
ミラノ万博開幕まで500日を切ったところで噴出した同論争、「決断」へのタイムリミットはジワジワと迫っている。