デル・ピエロ選手の「トリノ名誉市民」案が市議会で発議されるも、協議の末、反対多数により実現せず
元サッカーイタリア代表FWで、トリノのユヴェントゥスのスター選手として活躍したアレッサンドロ・デル・ピエロ選手(40歳)を「トリノの名誉市民に」という動きがあったが、同市議会で審議された結果、却下されたことが分かった。ガゼッタ・デッロ・スポルト紙が伝えている。
同紙によると、発案したのはレーガ・ノルド(北部同盟)党で、ユヴェントゥスの本拠地であるトリノ市のピエロ・ファッシーノ市長がユヴェンティーノ(ユヴェントゥスファン)であることも見込んでのもの。しかし、20日に行われた協議の結果、賛成票が20票しか集まらず実現はしなかった。
アレッサンドロ・デル・ピエロ選手はヴェネト州コネリアーノ出身。1993年から2012年までユヴェントゥスに所属し、通算705試合出場、289得点という成績で6度のスクデット獲得(セリエA優勝)などに貢献。2006年にはイタリア代表の一員でワールドカップ・ドイツ大会を制した。2007-08シーズンにはセリエA得点王に輝いている。2012年限りでユヴェントゥスを退団し、豪州リーグのシドニーFCに移籍。今季はインドリーグのデリー・ディナモスでプレーしている。
20年近くにわたってユヴェントゥスを牽引し、背番号10を纏ってシンボル的な存在だったデル・ピエロ選手。いまだユヴェントゥスサポーターの多くに愛され続けているだけに、決定は多くのトリノ市民たちの議論を呼びそうだ。
市議会に同案を提出したレーガ・ノルド党のトリノ地区代表、ファブリツィオ・リッカ議員は、
「トリノ市はこれまで、いかなる者に対しても名誉市民の称号を授けてきた。例えば、トリノ市に対して直接何もしていないロベルト・サヴィアーノ氏(マフィア組織など反社会勢力を糾弾するナポリ出身のジャーナリスト)に対しても。ところが今回、トリノを世界の至る所で有名にしてくれた名士に対しては拒否することを決めた」と憤りを見せる。
それではなぜ、デル・ピエロ選手の名誉市民案は却下されたのか。
ガゼッタ紙によれば、それは同市の議員たちにカルチョへの“信仰”が薄いわけでも、同市のもう一つの人気クラブチームであるトリノのファンらに配慮したわけでもなく、多分に「政治的」な理由からだという。
トリノ市議会の現在の政権与党は、ファッシーノ市長も属する中道左派の民主党。これに対してレーガ・ノルドは、北部イタリアの自治を求め、外国人移民の排斥を掲げる中道右派政党(極右政党と論ずる人も多い)である。
今回、熱烈なユベンティーノであるファッシーノ市長は、党の同僚議員らの説得に回って議案可決を目指したものの、「名誉市民という制度は思慮分別を持って行使されるもの。デルピエロ選手に関しては、賞を設けるなど違った形で感謝の意を表するのがふさわしい」(民主党トリノ市議団のミケーレ・パオリーノ代表)などと反発を受けて、賛成票をとりまとめることはできなかった。
こうした政治背景を踏まえてガゼッタ紙は、
「実際のところ、ピントゥリッキオ(ルネッサンス期の代表的画家、その美しくも繊細で芸術的なプレーからデル・ピエロの愛称のひとつとなっている)への《No》は、(人気取りを狙った)反対党である中道右派からの議案に対する、中道左派の冷淡さが背景」
「今回の一件は、ビアンコネーロの10番が、彼のサッカー人生において喫した数少ない敗北の一つである」
と記している。