アメリカ大陸を発見したのはコロンブスではなく、マルコ・ポーロだった?! 世界史の常識を覆す新事実となるか--。

2014年10月03日 15:48

アメリカ大陸を最初に見つけたのは、イタリア・ジェノヴァの探検家クリストファー・コロンブス(伊語名はクリストーフォロ・コロンボ)で1492年のことである、と我々は世界史の授業で教わってきた。ところが、ひょっとするとこの"定説"は、近く覆されることになるかもしれない。

米国の地図学者、ベンジャミン・B・オルシン氏がこのほど、15世紀から16世紀にかけて書かれたと見られる文献を分析した結果、アメリカ大陸が発見されたのは、大航海時代からさらに200年以上さかのぼる13世紀半ばであり、発見者は『東方見聞録』で知られるイタリア・ヴェネツィアの冒険家、マルコ・ポーロであると結論付けた。オルシン氏は、米誌『スミソニアン』に掲載された記事の中でこう語るとともに、11月に出版される自著『マルコ・ポーロの地図のミステリー』(シカゴ大学出版)の中でこれらの"新事実"について解説している。コリエレ・デッラ・セーラ紙オンライン版が報じている。

オルシン氏が分析した文献は、1887年にイタリアから米国カリフォルニア州サンノゼに移住したマルチャーノ・ロッシ氏が所持していたもので、1930年代に米国議会図書館に寄贈された。この文献は羊皮紙製で、イタリア語のほかにラテン語や中国語、アラビア語が書かれている。マルコ・ポーロが手紙などで3人の娘(ファンティーナ・ベレッラ・モレータ)に語ったことを彼女らがまとめたものとされ、マルコ・ポーロの死後見つかったという。その中には小さな地図も含まれており、左半分に中国・日本・シベリア・カムチャッカ半島が描かれ、ベーリング海峡をはさんで、右半分にはアリューシャン列島・アラスカが描かれている。さらに文中には「Fusang」という単語がしばしば登場するが、それは昔の中国語で「海洋の向こう側の地」を意味するといわれる。これらのことから「マルコ・ポーロは北米大陸の西岸の存在を知っていたか、ともかくアラビア人や中国人たちから話を聞いて知っていた」とオルシン氏は主張している。

オルシン氏の見方によれば、マルコ・ポーロはシリア人の商人とベーリング海を渡ってアラスカに到達したが、この航海の前にシリア人商人が「カムチャッカ半島からアラスカに渡るまで40日ほど要する」と彼に説明していたという。

さらに、旅行中に巨大な氷河に遭遇したことや、「住民たちが皆アザラシの毛皮を身につけており、魚だけを食べ、地下にある家に住んでいる」との記述が見られること、その地を「アザラシの半島」と呼んでいたことから、アラスカでエスキモーと遭遇したと分析している。

ただし、同説には謎も多い。まずは、マルコ・ポーロ自身は『東方見聞録』などの旅行日誌の中で新大陸について全く記していない、という事実がある。しかしこれには、死の間際、彼はベッドの中で「私は自分が見たものの半分も語っていない」と話したという逸話も残っている。また、この羊皮紙の古文書がどういう経緯でロッシ氏の手に渡ったのかがはっきりしていない。炭素年代測定法によって、15世紀から16世紀にかけて作られたものであることは判明されており、原本のコピー(写本)である可能性が高いと思われるが、文字のインクについてはまだ分析されておらず、当時の羊皮紙に後の時代になって文字が記され偽造された可能性も否定できない。

こうして謎は多いものの、もしマルコ・ポーロが本当に「東廻りルート」でベーリング海峡を渡り、北米大陸に到達したとするならば、同海峡の発見自体も、定説(1728年)から500年近くさかのぼることになる。まさに、歴史浪漫あふれる話ではないか。