バベルの塔~外国人選手のプレーにブレーキをかけるのは、敵ディフェンダーではなく「言語」である

2014年09月08日 15:11

「外国人選手のプレーにブレーキをかけるのは、敵ディフェンダーではなく“言語”である」との見出しで、ガゼッタ・デッロ・スポルト紙のエリザベッタ・ルッソ記者が,、海外でプレーをするサッカー選手・監督らの苦労談を7日付特集面でリポートしている。その中には本田圭佑選手の談話も紹介されている。

「現役ナンバーワン監督」との評価が高いポルトガル人のホセ・モウリーニョ氏(チェルシー監督)は、言語をその国の文化ととらえて、習得する能力に長けているという意味でも超一流である。2008年に初めてイタリアにやってきてインテルの監督に就き、初日の記者会見で「Ma io non sono un pirla.」(pirlaは北部イタリアの俗語でペニス、そして“のろま”の意味がある=でも僕はトンマなんかじゃないから=とでも訳せようか)とサラリと応じて、居並ぶイタリア人記者の度胆を抜いたのは有名な話だ。しかし、モウリーニョ氏のように外国語への適応能力のある選手・監督は極めて少ない。

いまやサッカーはグローバルなスポーツであるが、海外でコミュニケーションをとるというのは、多大なる困難が常に伴う。

ラツィオに所属するオランダ代表DF、ステファン・デ・フライ選手は、この7月にフェイエノールトから移籍してきた。彼はそれまでオランダから出たことがなった。新チームで同僚DF陣の出身を知って面食らった。イタリア人はたった一人で、あとはアルバニア人とアルゼンチン人が2人ずつ、そしてルーマニア人、セルビア人が一人ずつ。

まさに「バベルの塔」のお見本である。

フライ選手は言う。

「英語を話すことができる同僚たちには、私に英語で話しかけないでくれと頼んでいる。でも、彼らにはそれが難しいようだ。いまイタリア語を頑張って覚えようとしているけど、短期間でマスターできるような言語じゃないよ。とにかく、選手生活の中で初めてチームを変えたんだからね」

現在、「新生アッズーリ」の期待の星として売り出し中のチーロ・インモービレ選手。彼もこの夏に、住み慣れたトリノを離れドイツ・ドルトムントにやってきた(日本代表・香川真司選手の同僚である)。

移籍して間もないある夜、セバスティアン・ケール主将がやってきて、彼に2枚の紙を渡して一言命じた。「すぐにこれを覚えてくれ」。紙にはギッシリ、ドイツ語で戦術用語が埋まっていた。

インモービレ選手は苦笑しながらこう言う。

「僕に付いてきた通訳のマッシモは、クロップ監督が話すときだけ近寄ってくるんだけど、マッシモ自身、ドイツ人たちから理解されていないんだよ。そんな時、彼の口からイタリア語の《Vaffa》というスラングが飛び出す。僕に対してではなく」

ギリシャ代表を指揮するクラウディオ・ラニエリ氏がチェルシーの監督時代。就任直後の記者会見で「選手たちには、歯でひざを噛みしめながらプレーをしてほしい」と毅然と語った。キョトンとするドイツ人記者たちを見たラニエリ監督は、イタリア人記者の方を向くとローマ弁で「いやあ、俺何かおかしなこと言ったかな?」。イタリア語の比喩表現に《con il coltello tra i denti》という用語がある。直訳すると「歯でナイフを噛みしめながら」。すなわち「(怒りなどで)歯をくいしばって」を意味する。ラニエリ監督はこの比喩を英語で言いたかったのだが、coltello(ナイフ=Knife)をknee(ひざ)と誤訳してしまったのだ。

さて、ACミランの本田圭佑選手である。彼はルッソ記者の取材にこう答えている。

「ようやく今になってイタリア語を少し理解し始めた。昨年は自分にとって難しかったが、今はかなりよくなっている」

ある程度、言語の壁を乗り越えたことが、このところの見違えるようなキレのあるプレーと安定感につながっている--というのがイタリアメディアの大方の見方である。

同様に、欧米人にとってもアジアで仕事をするというのは極めて困難なようだ。

かつてジュビロ磐田で活躍したトト・スキラッチ氏(1990年W杯のMVP&得点王)は、海外でプレーしたイタリア人の草分け的存在である。彼は当時を思い出してこう言う。

「日本? あることを覚えるのに3カ月かかった。自分にとってはすべてがクレイジーだった。最初はショックだったよ。でも、少しずつ慣れていくようにしたんだ」

昨年、中国・広州恒大をアジアのクラブ王者に導いたマルチェッロ・リッピ監督(元イタリア代表監督、2006年W杯で優勝)は「当初、私が知っていた中国語はたった3つだった。ウエイター、ありがとう、そして灰皿(リッピ氏は葉巻タバコの愛好家)だ」と語る。それでも4人の通訳を使いこなして乗り切った。

だが、彼の元選手であるアルゼンチン人、ダリオ・コンカ選手(現ブラジル・フルミネンセ)はラッキーではなかった。リッピ氏の前任者、韓国人監督の李章洙(イ・ジャンス)氏とのコミュニケーションは最悪だったという。

「李監督は10分間も通訳たちと話をしていた。ハングル語から中国語、そして中国語からスペイン語に。そして私はこう言われたんだ。『お前はゴールの中に球を蹴らなければならない』。あたりまえじゃないか。そんなこと言われなくたってわかってるさ。中国でやっていくのは難しすぎる。言葉が違いすぎるんだ」

そして最後にルッソ記者は、ACローマの英雄、フランチェスコ・トッティ選手の“お決まり”のエピソードで特集記事を締めくくっている。

あるジャーナリストが、彼がイタリア代表に招集されたことに関して尋ねた時のこと。

「今回のケースは《Carpe diem》(カルペ・ディエム=古代ローマの詩人ホラティスの詩の中で使われており、ラテン語で「今を生きよ」「今という時を大切に使え」という意味)とでも言うように……」と言いかけた記者に、トッティ選手はローマ弁でこう制したのだった。

「ダメだよ、オレの知らない英語を話さないでくれ」