伊紙コラム:「ミラン本田、王様なのはファッションだけではない、いまやゴールの王でもある」

2014年10月20日 21:35

19日のヴェローナ戦から一夜明けた20日、イタリア各紙には所狭しと「HONDA」の文字が踊った。
イタリア最大部数のスポーツ紙「ガゼッタ・デッロ・スポルト」は「HONDA SU HONDA」というタイトルを付けて4ページにわたって本田の活躍を報じている。

イタリア語では「H」を発音しないことは、先日紹介した通り。本田の名字は「波」を意味するONDA(オンダ)にもじってよく使われる。
ガゼッタ紙のタイトルは、1960年代に同国内で流行ったポップス曲『ONDA SU ONDA(次から次に波が押し寄せ)』をもじったものと思われる。

さて、同じガゼッタ・デッロ・スポルトでもオンライン版の方は別の見出しを用いている。

「Milan sulla cresta di Honda」

やはりこれも「Honda」を「onda」に見立てたもの。もとは慣用句の「sulla cresta dell'onda」で、訳して「ミランは幸福の絶頂にいる」。 

そして同電子版では、「ミラン本田、王様なのはファッションだけではない~いまやゴールの王でもある」とのタイトルで、イヴァン・パルンボ記者がコラムを記している。

同記事には、ある日本人ファンがFacebookに「ヴェローナ戦の2点目の後、5分で描き上げた」というゴールシーンのイラストと、インザーギ監督が冗談めかして本田の首根っこを押さえつけるようにして喜ぶ写真が添付されている。

では、ここでザッと紹介しよう。

https://www.gazzetta.it/Calcio/Serie-A/Milan/19-10-2014/milan-honda-ora-gol-va-moda-imperatore-non-solo-fashion-90787752309.shtml

 

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イタリアにやってきた当初、本田は記者たちから次のような質問をしょっちゅう受けた。

「どんな時もどんな場所でも、いつもサングラスをかけているのはなぜか」

すると本田は、ちょっとイラッとした表情で「英語」でこう答えた。

「イッツ・ジャスト・ファッション(単なるファッションさ)」

ファッション~そう、ケイスケはモーダ(流行)が好きなのだ。

そのサングラスの奥に隠れているもの~「神秘性」~は今もなお健在である。

かつてザッケローニは彼のことを「異形の存在」と定義した。

いまや彼はセリエAの得点王であり、イタリアでの初のドッピエッタ(doppietta=1試合で2得点を挙げること)の後、正真正銘、ミランの牽引車となっている。

それでもなお、彼は沈黙を守り続けている。

しかしながら、これでもって我々は彼のことを「アンチ・スター」と決めつけてはならない。彼の(サッカーにかける)情熱というものを考え合わせるならば。

YouTube上に、彼を撮影した1本の動画がある。その中では、まだ学生のケイスケがチームメートたちに、どうやってフリーキックを蹴ったらいいか教えている。

髪の毛は額の大半を覆うくらい長く、黒々としている。伝統的な「ジャパン・スタイル」だ。

いまではもう長いこと、彼はオキシドールで脱色したブロンドである。そして、サングラスで「外界」に素顔を隠している。

彼とミラノとの最初の"つながり"は、2010年にさかのぼる。

オランダのVVVフェンローからロシアのCskaモスクワに移籍した当時、彼はあるブランド時計(注:おそらくGAGA MILANOのことと思われる)の"広告塔"を務めていた。そのメーカーは東京地区に4店のブティックを持っており、彼の将来に賭けたのだった。

さらに彼は、「2010年を代表する男」としてファッション雑誌「GQ(日本版)」の表紙を飾っている。

ミランでの最初の数か月、"無名時代"の彼の口から「サウダーデ(切なさ)」が語られることはなかった。

バカンスも取らずにロシアからセリエAにやってきて、最初の数週間はホテル暮らしを余儀なくされた。そして突然の監督の交代劇(アッレーグリからセードルフへ)。間もなくチームもホンダも「成り行き任せ」の混迷状態に陥った。

現在、ケイスケは妻と息子と1匹の愛犬と一緒に、イタリアファッションの中心地、ミラノのど真ん中のモンテナポレオーネ通りから目と鼻の先にある家に住んでいる。日本人の理学療法士も雇っている。

そしてインザーギとの二人三脚で見事再生を果たし、7試合で6得点を挙げて"得点王"にまでなった。

「今さら彼が素晴らしいというのは簡単なことだ」とピッポ(インザーギ監督の愛称)はコメントする。実のところ、彼は8月のはじめにはすでにケイスケの「将来」を確信していた。

しかしながら、ケイスケは相変わらず、自身のことについては口を閉ざしたままである。

ちょっとしたイタリア語はもう話せる。だが、公の場では敢えて話そうとしない。

エースストライカーは、毎回インタビューに応じるわけではない。

活躍した時でさえ、ケイスケは常に控えめである。

しかしながら、彼のサングラスの奥の瞳には、いまようやく陽光が宿っている。彼は「喜び」を見始めている。

そう、皆もおわかりであろう。もう彼は「単にファッションだけの男」ではないことを。